すーぱーさまーちゃんの日記だ!!!

暇なときに、思った事や趣味とかを。

すーぱーさまーちゃんのギターの探し方①

 

すーぱーさまーちゃん(以下、僕)はギターをしている。

 

13歳の頃に最初のギターを手にしてから10年以上の月日が流れてしまった。

楽器という物は不思議なもので買っても買っても欲しくなってしまうから困りものだ。

 

中学生の段階で4本のギターを買い、高校に入学すると共にfender japanのテレキャスターを購入。そこから僕のギター探しの旅は始まってしまった(まだ終わっていない)

 

軽音部に入った当初の15歳の僕には満足出来るギターだった。

 

初めてのシングルコイル、ピッチ面でも扱いにくいテレキャスを使っているのも部内では僕一人だったので何となく優越感もあった。

 

コードを弾いている時は歯切れの良い音に酔いしれた。しかしソロの時にはどうも物足りない。歪まない。音圧不足。

 

部内にいたうまいやつはゴリゴリに歪むハムのギターでギャンギャンソロを弾いていたのだ。

 

2ヶ月も経たないうちに、シングルコイルのギターはダメなのかと思った。

しかし僕はひねくれていたのでBOSSのBD2と共にテレキャスターを使い続けた。

 

そこから1年と少しの間に2本新しいギターを買ったのだが全てテレキャス(何でやねん)

 

当時愛聴していたrichie kotzenアベフトシに憧れていたからである。

 

その頃から僕は「ギターを使いこなせてないから物足りないと感じる」と考えるようになった。

 

この不器用なギターで上手くなろうと。

 

最初の1本は何となく、それ以降の2本のテレキャスは好きなギタリストのシグネチャー。

高校2年生の僕のギターの探し方は 憧れ だった。

 

つづく、、、

 

 

 

 

 

 

 

何もない日ほど。

 

何もない日ほど記録を残しておくのも大事かもしれない。

 

5月27日は朝9時に起き12時前まで二度寝した。

 

昼食は外食で済ませ、家に帰り作曲をした。最近は勉強も兼ねてDTMを使っている。

 

くだらない動画を見て時間を消費するのをやめたい。

 

夜も作曲とギターを続け気がつけば1日が終わっていた。

 

晩御飯は食べず、ホットコーヒーを飲んだ気がする。

 

思う事

 

とにかく行動しなければならない。

 

流れる時間は待ってはくれない、春になってから時間の加速が凄まじい。

 

何かしないと、気持ちだけはあるが行動に関してはマイペース。

 

自分をコントロールして理解する事が必要だ。

 

①疲れを減らせるようにする(その疲れは体力的な物か精神的なそれか)

 

②考える力や知見を広げる(視野が狭いので判断材料が少ない 。博識になる必要はもちろんないが、物事に対してに多少の理解は必須)

 

③新しい事に取り組む(当日までナーバスになったとしても迷うならやらない後悔の方が大きい)

 

④能動的に取り組む(自分が動かないと何も変わらないし、変化があっても他人頼りのものは不定期かつ緩やかすぎる)

 

⑤少しでも前に進む

 

これを目標にしたい。

 

今日は食べるつもりのない夕飯を食べた、後悔はない。

 

昨日は夜に駆けた。

 

部屋が暑くなり夏が近くなったきた。

2021/5/9

 

気がつけば2020年が終わり年が明け冬を越しGWさえも終わってしまった。

 

緊急事態宣言が延長され閑散とした街を抜け職場に向かう。とはいえ都市部の駅は比較的混雑していて危機感はあまり感じられない。

 

非日常が日常になってから一年程経つが不満や苛立ちも全て通り越してしまった。先の見えない現状はいつになれば変わるのか、今の日常が非日常に戻るまでの時間を考えると少し気が滅入る。物事に関しての各々の考え方が浮き彫りになった気がする。みんな自分の正しさで生きているので大衆が交わり合うのは難しそうだ。といっても今はソーシャルディスタンス。交わる事は許されない。

 

天気がいいと出かけたくなる。仕事終わりに本屋に立ち寄った。

 

大型書店は人で溢れていた。自分もその中の一人。

 

膨大な量の本を眺めていると圧倒的な情報量にやられてしまう。どれから読もう、あれも、これも、好奇心だけはあるが情報過多すぎて決めるのが難しい。趣味の教本を眺めていたが、自力で頑張るか本に頼るか、判断に困る。面白い事は書いているが今は買わないことにした。どの本も興味深い内容で自分を見失いそうになる。無闇に手をつけるのは良くない。的を絞って少しずつ。

 

最初から目星をつけていた趣味とは関係のない本を一冊を購入し帰路についた。

 

毎日を濃い時間にしたいと思っているが、自分の濃いと頭が感じるそれは違うらしく時間の波に流されてしまう。

 

『明日やろうは馬鹿野郎』これ懐かしくないですか。最近この言葉が胸に沁みます。